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第9話  知りたいと思った理由

last update publish date: 2026-09-21 19:00:22

美咲は、自宅に帰ってからもスマートフォンを手放せなかった。

画面には、あのメッセージが残っている。

『蓮のことを忘れてください』

短い文章だった。

それなのに、何度読んでも胸の奥が落ち着かない。

誰が送ってきたのか。

どうして自分のことを知っているのか。

そして何より。

どうして、蓮のことを忘れろと言うのか。

美咲はソファに座ったまま、蓮とのメッセージ画面を開いた。

最後に会った日のことを思い出す。

「僕と一緒にいると、あなたが傷つくかもしれない」

あのときの蓮は、いつもの穏やかな表情ではなかった。

何かを恐れていた。

美咲には、そう見えた。

「……やっぱり、何かあるんだ」

今までは、蓮が話したくないなら無理に聞かなくてもいいと思っていた。

過去には誰にだって触れられたくない部分がある。

自分にもある。

だから、待つつもりだった。

いつか蓮が話してくれるまで。

けれど。

もう「待っているだけ」ではいられなかった。

知らないところで、自分にまで警告が届いた。

それはもう、蓮一人の問題ではない。

美咲はスマートフォンを置いた。

そして、ノートパソコンを開いた。

検索画面に、言葉を入力する。

『蓮 事件』

いくつかの結果が表示された。

けれど、蓮という名前だけでは情報が多すぎる。

美咲は少し迷ってから、もう一度入力した。

『五年前 殺人事件 黒崎誠一』

画面にニュース記事が並んだ。

その名前を見た瞬間、美咲の指が止まった。

黒崎誠一。

五年前に殺害された、黒崎グループの社長。

事件当時の記事には、会社関係者や取引先など、多くの名前が並んでいる。

美咲は一つの記事を開いた。

事件の概要。

発見された場所。

死亡推定時刻。

捜査状況。

そして、最後のほうに。

『事件当時、現場付近にいた会社関係者の男性についても事情聴取が行われた』

男性の名前が書かれている。

──桐谷蓮。

「……桐谷」

美咲はその名前を見つめた。

蓮が、自分の苗字を一度も言わなかった理由。

ただ、そこまでなら偶然だと思えた。

でも。

記事に掲載されていた写真を見た瞬間、美咲は息を止めた。

五年前の写真。

少し若い。

髪型も違う。

それでも、間違えるはずがなかった。

「……蓮」

声が震える。

写真の中の男性は、間違いなく彼だった。

美咲は画面を拡大した。

記事には、事件の重要参考人として桐谷蓮の名前が載っている。

けれど、逮捕されたという記述はない。

裁判の記事もない。

ただ、事件後に行方がわからなくなった、とある。

「どういうこと……?」

美咲は記事を読み進めた。

捜査は数か月続いたものの、決定的な証拠は見つからなかった。

そして、事件は未解決のまま時間が過ぎている。

美咲は椅子の背もたれに身体を預けた。

少なくとも。

蓮が逮捕されて、刑務所に入っていたというわけではない。

けれど、事件現場にいた。

そして、そのことを今まで自分に話さなかった。

「……何があったの?」

画面に向かって問いかけても、答えは返ってこない。

翌日。

蓮は高瀬から新しい資料を受け取っていた。

「これが、見つかった監視映像の記録だ」

紙の資料と、保存された映像データ。

蓮は資料に目を通す。

「車の持ち主は?」

「まだ調べている途中だ。ただ、車種は特定できた」

高瀬が別の資料を差し出した。

「この車は、黒崎の会社が使っていた車じゃない」

蓮の眉がわずかに動く。

「じゃあ、誰の車ですか」

「それが問題なんだ」

高瀬は一枚の写真を指差した。

「事件当日の午後、同じ車が黒崎グループの本社前でも確認されている」

蓮は黙って写真を見る。

同じ車。

同じ日。

そして、夜には事件現場近く。

「……誰かが黒崎を監視していた?」

「可能性はある」

「でも、どうして当時の捜査で……」

「記録が抜けている」

高瀬の言葉に、蓮は顔を上げた。

「抜けている?」

「正確には、捜査資料から消えている」

二人の間に沈黙が落ちた。

高瀬は続ける。

「当時の担当者にも確認した。誰かが意図的に処理した可能性がある」

蓮は資料を握りしめた。

五年前。

あの事件では、最初から何かがおかしかった。

自分はそれに気づいていた。

だからこそ怖くなった。

そして、逃げた。

証拠を隠した。

誰かを守ろうとした。

けれど、その行動によって本当のことまで埋もれてしまった。

「……俺がもっと早く話していれば」

「そう思っているなら、今から話せ」

高瀬の声は厳しかった。

「過去は変えられない。でも、これから何をするかは選べる」

蓮は目を伏せる。

「……わかっています」

「なら、もう一つ聞く」

高瀬が少し間を置いた。

「お前が今、一番気にしているのは事件のことか?」

蓮は答えなかった。

高瀬は小さく息を吐く。

「……女のことか」

「……」

「図星だな」

蓮は苦笑した。

「巻き込みたくないんです」

「だから何も言わずに離れた?」

「はい」

「それで、守れていると思うか?」

蓮は何も言えなかった。

昨夜届いた電話。

そして、美咲への警告。

すでに彼女は巻き込まれている。

「……俺が間違っていたのかもしれません」

「そこに気づいたなら、次はどうする?」

蓮はしばらく考えた。

「……自分で決めさせます」

高瀬が黙って蓮を見る。

「何を知るかも、何を選ぶかも。俺が決めることじゃない」

その言葉は、以前の自分とは違っていた。

美咲を守るために、彼女から選択肢を奪っていた。

それが正しいことだと思い込んでいた。

けれど。

美咲は言った。

──私が傷つくかどうかは、私が決めることじゃないですか?

「……あの人なら、きっと怒るでしょうね」

「何が?」

「勝手に決めたことに」

高瀬は少しだけ笑った。

「なら、ちゃんと話せ」

蓮は返事をしなかった。

その夜。

美咲は再びパソコンの画面を開いた。

「桐谷蓮」

検索欄に、その名前を入力する。

五年前の記事。

事件の概要。

黒崎グループ。

いくつかの情報を読み進めるうちに、美咲は一つのことに気づいた。

蓮についての記事が、ほとんどない。

事件当時は名前が出ている。

けれど、その後については突然途切れている。

まるで。

誰かが彼の存在を消したように。

美咲は画面を見つめた。

怖い。

ここから先を知れば、もう後戻りできないかもしれない。

蓮が何をしたのか。

何を隠しているのか。

知ったあとで、自分がどう思うのか。

それすらわからない。

それでも。

美咲はパソコンを閉じなかった。

「……知りたい」

それは、蓮を疑いたいからではなかった。

ただ、もう一度彼と向き合うために。

何も知らないまま、好きだと思い続けることはできない。

美咲はスマートフォンを手に取った。

蓮の名前を表示する。

メッセージを送ろうとして、指を止めた。

そして、短い文章を打つ。

『話したいことがあります』

送信する。

既読はつかなかった。

美咲は画面を見つめたまま、ゆっくり息を吐いた。

返事が来るかはわからない。

それでも。

今度は、自分から逃げない。

その気持ちだけは、もう決まっていた。

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